2021/09/24 18:23
道家(どうか)の思想の原点は、いうまでもなく老子が著したといわれる『老子道徳経』(一般には『老子』といわれている)である。
では、老子とはどんな人物で、『老子道徳経』とはどんなものなのだろうか。
老子は、司馬遷の『史記』によると「楚(そ)の苦県(こけん)の厲郷(らいきよう)、曲仁里(きよくじんり)の人で、姓は李(り)氏、名は耳(じ)、字(あざな)は伯陽(はくよう)、おくりなして聃(たん)という」となっている。また『史記』には、老子に教えを請うた孔子が、「鳥は飛ぶもの、魚は泳ぐもの、獣は走るものくらいは私も知っている。走るものは網でとらえ、泳ぐものは糸でつり、飛ぶものは矢で射ることも知っている。だが、風雲に乗じて天に昇るといわれる竜だけは、私もまだ見たことはない。今日、会見した老子はまさしく竜のような人物だ」といったと記されている。だから、もし老子が実在する人物であったなら、孔子と同じ時代、紀元前五世紀頃の人だということができる。
実在する人物であったならというのは、老子は生没年代も明確ではなく、また、『老子道徳経』の内容や文体を考察すると、一人の人物の頭脳から生まれたものとは考えにくく、その頃の道家の思想を集大成したものと考えられるからである。
しかし、老子が実在の人物でないとしても、それによって老子の思想的価値が下がるわけではない。逆に、儒教が孔子、仏教が釈迦、キリスト教がイエスの主観から生まれたのに対し、『老子道徳経』は、多くの頭脳の集積から生まれただけに、より普遍性を持ち、真理をついた思想ということができる。
この老子の思想の中核を成すものが「無為自然」の思想である。これは「宇宙の現象には、人の生死も含めて、必然の法則が貫徹していて、小さな人為や私意は入り込む余地はないのだ」という考え方が基本になっている。つまり、人間などというものは、宇宙から見ればゴミのような小さい存在であり、人生は人の力ではどうにもならない自然の一コマに過ぎない。
しかし、人間はそういうこともわからずに、さまざまな我執(がしゆう)に振り回されてあくせくしている。人は生まれる前は“無”、そして死んでしまえばまた“無”に帰るわけで、自分のものなど何もない。これに気づき、くだらない見栄や欲を捨てれば、人生はもっともっと楽しくなる。これこそが人間として最高の生き方であるという考え方だ。
これまで日本では、この老子の思想というものはあまり重要視されてこなかった。孔子の儒教に比べて冷遇されてきたとでもいうべきだろうか。それは、時の権力者にとって、すべてにおいて儒教のほうが都合がよかったからである。封建時代という階級社会では、修身や治国を「……してはいけない」調で説く儒教の教えは歓迎されても、「我執を放(ほ)かして楽しく生きましょう」という思想が受け入れられるはずがなかったのである。
しかし、現在道家の思想が静かなブームを呼んでいる。なぜだろうか。それは、今日あふれるほどの物質文明の恩恵をこうむるあまり、精神的な拠り所を失っている人々が非常に多いからである。
人生とは何なのか、幸福とは何なのかを考えた時、はたして明確な答を示してくれるものがあるだろうか。富、名誉、そんなものは死んでしまえば何にもならない。答えは一つ、「健康で楽しく生きること」ではないのか。それが人間としての生き方の原点ではないのか。それを前面に打ち出してうたってきたのが道家であり、老子なのだ。
まさしく老子は生きているのである。
今日ほど老子の思想が注目されている時代はない。本書は、誰にでもわかるようにやさしく『老子道徳経』を解説したものである。なお、『老子道徳経』の“道徳”とは、宇宙には人為の及ばない法則(道)があり、万物はその道から本性(徳)が与えられる、というところから出たものである。モラルの意味ではない。
第一部 人の道、天の道とは何か
- 一章 人の道は固定したものではない
- 二章 美はまた醜なり
- 三章 欲望は争いのもと
- 四章 和光同塵
- 五章 天地は不仁である
- 六章 母なるものは永遠である
- 七章 退いて先をとる
- 八章 上善は水のごとし
- 九章 盃に満ちた酒はこぼれる
- 十章 天の道に学ぶ
- 十一章 無用の用
- 十二章 人為にまどわされるな
- 十三章 聖人は栄辱を追わない
- 十四章 我執をとれば道が見える
- 十五章 道を会得した人
- 十六章 静はすべての根源
第二部 人はどう生きるべきか
- 十七章 理想社会は人を縛らない
- 十八章 大道廃れて仁義あり
- 十九章 あるがままが一番よい
- 二十章 見かけで人を判断するな
- 二十一章 精気は生命の源
- 二十二章 完全でないから人生は楽しい
- 二十三章 人為は長く続かない
- 二十四章 自ら矜る者は長からず
- 二十五章 偉大なる道に学べ
- 二十六章 軽薄のいましめ
- 二十七章 自然な生き方
- 二十八章 自らを誇らず
- 二十九章 天下は神器なり
- 三十章 戦争の悲劇
- 三十一章 兵器は不吉の兆し
- 三十二章 道を守れば争いはない
- 三十三章 人知の限界を知れ
第三部 自分の心をどこにおくか
- 三十四章 道は万物のルーツ
- 三十五章 道は用いて価値を生ず
- 三十六章 張った弦は切れる
- 三十七章 無為にして為さざるは無し
- 三十八章 仁義礼智は虚飾
- 三十九章 貴は賤を以て本と為す
- 四十章 道は循環する
- 四十一章 大器晩成
- 四十二章 気の働き
- 四十三章 水に学べ
- 四十四章 欲張れば身を滅ぼす
- 四十五章 人は見かけによらぬもの
- 四十六章 足ることを知れ
- 四十七章 大局を見る目を持て
- 四十八章 無為と作為
第四部 我執をいかに捨てるか
- 四十九章 信頼される政治
- 五十章 生に執着すれば命を縮める
- 五十一章 「親の道」もまた道
- 五十二章 欲望にとらわれるな
- 五十三章 盗賊の驕り
- 五十四章 理想社会
- 五十五章 休むことを知れ
- 五十六章 道を知るものは誇らず
- 五十七章 大きな政府より小さな政府
- 五十八章 福と禍は隣りあわせ
- 五十九章 人生万事「程」の一字
- 六十章 小鮮を烹るがごとし
- 六十一章 大国は下流である
- 六十二章 道を知れば万事如意となる
- 六十三章 無為をわが働きとする
- 六十四章 千里の道も足下から
第五部 どんな人生が最高か
- 六十五章 政治のあり方
- 六十六章 無理をすれば挫折する
- 六十七章 道には三つの宝がある
- 六十八章 不争の徳
- 六十九章 兵法の極意
- 七十章 ボロを着て玉を抱く
- 七十一章 最上の知
- 七十二章 良い政治は意識しない
- 七十三章 天網恢恢、疎にして失わず
- 七十四章 人には人を裁く資格がない
- 七十五章 税が重ければ民は飢える
- 七十六章 柔よく剛を制す
- 七十七章 天の道と人の道と
- 七十八章 水ほど柔弱なものはない
- 七十九章 怨みは初めから買うな
- 八十章 桃源郷
- 八十一章 まことの言葉